有名な観光地に旅行へ行ったけど、ショッピングや観光スポットを巡っただけで、
想像していたよりもあまり楽しくなかった…。
という経験がある方はいませんか?
そんな時におすすめしたいのが、観光ガイドをお願いすることだと筆者は考えています。
特に、観光地として有名な「津和野」は、ただただ観光スポットをみて歩くだけなら1時間ほどで回りきれてしまう規模。
ということで、今回は現役で津和野の観光ガイドを行っている筆者が、王道の津和野観光モデルコースをご案内させていただきたいと思います。
ガイドのお時間は約3時間。
実際にこの記事を読みながら、観光スポットをめぐってみてくださいね。
- 津和野に初めて来た方
- 観光を楽しみたい方
- 歴史や小話がお好きな方
観光をしながら食べ歩きも楽しみたい方は、こちらもチェックしてみてください。
津和野観光モデルコースの概要
このご案内は、徒歩を前提とした内容としています。
スタート地点:殿町/本町の交差点
ルート:
1)殿町通りを散策
2)弥栄神社と太鼓谷稲荷神社を参拝
3)本町通りを散策(買い物の下見)
4)津和野駅
5)永明寺
☞ スタート地点へ戻る
徒歩で移動するため、お買い物は観光の後がおすすめです。
津和野まで・・・
電車でお越しの方:津和野駅から歩いてスタート地点までお越しください.
お車でお越しの方:津和野駅や町内にある駐車場(有料)へお止めください。
※津和野に無料駐車場はありません。
ではみなさま、スタート地点にお集まりいただきましたでしょうか?
早速ガイドを始めさせていただきたいと思います!
津和野のメインストリート「殿町通り」
この交差点を起点に、奥が殿町通り、手前が本町通りと通りの名前が変わります。
「殿町通り」は、道路の両端に掘割りがあり、その中を泳ぐ鯉を映した映像が津和野の紹介でよく使われます。
”この風景、みたことある!”という方は多いのではないでしょうか?
殿町総門(とのまちそうもん)
昔、「殿町通り」と「本町通り」の分かれ目には、門が建っており、武家と町人の地を分けていました。
絵の門より手前側(殿町通り)は武家の地、奥側(本町通り)は町人の地です。
その名残が、道幅の違いとして残っています。
殿町通りの方が広く、本町通りの方が狭いというのが、お分かりいただけるでしょうか?
またこの門は、武家と町人の地を分けるだけでなく、津和野藩から他の藩までの〇〇里と距離を測る起点の役割もありました。
この門は現在も津和野にあり、最後に訪問予定の永明寺(ようめいじ)というお寺の門として移設されています。
掘割と鯉
殿町通りの横にある「掘割り」は、国道整備の時に作られた比較的新しいものです。
砂が溜まってしまいわかりずらいのですが、掘割りの底の地面が、元々の道路の高さでした。
ここにいる鯉たちは、津和野の町の人が飼育していた鯉を持ち寄り、数匹つづ放したのが最初と言われています。
鯉の寿命は30年前後と言われているので、今ここを泳いでいる子たちは、この掘割りで生まれ育った子たちです。
掘割りを流れる水は、すぐ横を流れる津和野川の上流で取水し、そのまま流れてきています。
なので、水の中をみていただくと、鯉以外に小さな川魚、天然のメダカやカニもみることができます。
津和野カトリック協会
城下町と言われる津和野の町中で一際目を引く建物。それが「カトリック協会」です。
なんでこんな町中に協会があるの?と不思議に思われる方も多くいます。
その昔、日本でキリスト教の信仰は禁止されていました。
しかし、隠れてキリスト教を信仰している方たちがいて、そういった方たちを歴史的には”隠れキリシタン”を呼びます。
隠れキリシタンの方たちは、捕まると改宗のために日本全国各地に流され、津和野にも140人ほどの人が流されてきました。
最初は説得で改宗を勧めていましたが、次第にご飯を与えないなどの拷問による改宗を迫るようになり、最終的に37人の殉教者を出したという過去が津和野にはあります。
日本でも信仰の自由が認められ、当時の神父さまが、殉教者たちを忘れないように…。ということでこの協会が建てられました。
ゴシック様式の外観をした協会ですが、内部は木造でできていて、床は全国でも珍しい畳敷き。
中に入ると、ステンドグラスから差し込む日差しがとても綺麗です。
教会は自由に入館でき、写真撮影もOKですが、他の観光客の方やミサの邪魔にならないように注意してください。
乙女峠博物館
厳しい改宗指導は、カトリック協会のある場所から徒歩で15分ほどの「乙女峠」という場所で行われました。
山道をすこし登るので、ちょっと向かうには厳しい…という方のために、カトリック教会の敷地内に「乙女峠博物館」が建てられています。
殿町総門前に掲げられたキリスト教禁止の札(実物)や、乙女峠での拷問の様子を表現したパノラマが設置してあり、当時の様子を知ることができます。
こちらも入館無料ですので、ご興味のある方はぜひどうぞ。
ちなみにこの乙女峠は、日本でも数少ない”マリア様が現れた場所”として、キリスト教信者の中では非常に有名な場所です。
そのため、信仰の自由が明文化された日本国憲法の施行日である5月3日に行われる「乙女峠まつり」には、世界中からキリスト教徒の方が津和野に来られ、殉教者を偲ぶ巡礼を行っています。
津和野町役場(津和野支所)
こちらのものすごく趣のある建物。なんと現役の津和野町役場です。
大正時代に警察署として建てられ、現在も大部分がそのままに、役場の建物として使われています。
門は、津和野藩で家老を務めた大岡家老の門が使われています。
窓のガラスは、大正ガラスと呼ばれるもので、
現在のガラスとは違い、歪みがあり、レトロな雰囲気を醸し出しています。
藩校 養老館
そして少し先に進むと、提灯の下がった立派な門が見えてきます。
こちらが「藩校 養老館(はんこう ようろうかん)」です。藩政時代の小学校でした。
津和野藩は、その地理柄、明治維新派の長州藩との最前線に位置していました。
当時の津和野藩主であった11代目亀井藩主は、時代の変化を身近に感じておられ、新たに国学の授業を取り入れるなど、教育に力を入れました。
その結果、この藩校 養老館から、西周(にしあまね)などの政治家、東洋紡の創設者である山辺丈夫などの実業家、明治の文豪 森鷗外などが多数の著名人が輩出されました。
森鷗外の遺言記念碑
あまり知られていませんが、夏目漱石と並ぶ明治の文豪である森鷗外は、津和野出身です。
津和野藩の藩医である森家に生まれ、10歳で津和野から上京しました。
森鷗外は亡くなる前に遺言を残しており、そこには
”自分はただの石見人 森林太郎として死にたい。その際に、墓石には名前以外の何も彫らないように。”
と書かれていました。
軍医総監や文豪として不動の地位にいた森鷗外ですが、死後がただただ穏やかに眠りたいという思いがあったのかもしれません。
森鷗外は東京の文京区で亡くなりましたが、没後00年に分骨し、本日最後に訪れる永明寺に森鷗外(表記は森林太郎)のお墓があります。
では、養老館の門を通り抜けて、広場へ向かいましょう。
鷺舞広場
目の前にあるモニュメントは、この先にある弥栄神社の祇園祭で奉納される”鷺舞”神事を模したものです。
曜日に関係なく、毎年7月20日と7月27日に鷺舞神事が行われます。
京都の弥栄神社から山口を経由して、津和野に伝承され、以降400年以降続いています。
疫病鎮護・無病息災を祈願するため、事故の起こりやすい十字路で舞いを披露します。
弥栄神社と御旅所
この”鷺舞神事”を執り行う弥栄神社は、1450年ごろに建てられました。
元々、武家の地にあり、お殿様しかお参りできない神社でした。
津和野藩のお城である三本松城の鬼門に位置し、お城を守る役割も担っていました。
弥栄神社は須佐之男命(スサノオ)を主祭神として祀っており、祇園祭が開催されている7月20日〜7月27日の7日間だけ、町民の地にある御旅所に滞在します。
普段は武家の地に居てお参りできない神様が町人の地に来てくれる!ということで、当時、町人の間では一大イベントだったそうです。
太鼓谷稲成神社
津和野のスクランブル交差点には一際大きな石の鳥居があります。
この先にある太鼓谷稲成神社の鳥居で、島根県では出雲大社に次いで参拝客が多いと言われていてます。
日本5大稲荷の一つにも数えられる由緒正しいお稲荷さんです。
この神社も、弥栄神社と同様に、お殿様しか参拝できない神社で、お城の鬼門の位置に置かれ、お城を守る役割を果たしてたそう。
1800年ごろに京都の伏見稲荷から勧請したのが始まりで、伏見稲荷と同じように1000本鳥居という名の参拝ルートがあります。
稲荷といえば、通常は”荷”の字が使われますが、太鼓谷稲成神社では”成”の字が使われています。
昔、藩主の倉庫番が倉庫の鍵を無くしてしまいました。
そのことをお殿様に話すと、『このまま鍵が見つからなかったら切腹』と言われ、必死になって鍵を探しましたが、見つかりませんでした。
困った倉庫番は、お殿様しかお参りできない稲成神社に忍びこみこっそりとお参りをしました。
すると翌日鍵が見つかりました。
鍵が見つかったこと、そして稲成様にお祈りしたことを正直に話たところ、お殿様が許され、大きな願いが叶う(大願成就)ご利益があるということで、成の字が使われるようになった。
と伝えられています。
このお話は、”狐の嫁入りと失せ物道中”という名で、毎年2月の初午(はつうま)の時にイベントが行われています。
城山
稲成神社の先には、津和野藩が使っていた三本松城の城跡が残る城山があります。
初代 津和野藩主一族である吉見氏の時は、天然の地形を活かした山城だったそうですが、
次に津和野藩主となった坂崎氏が、石垣や堀割りを整備し、近代的なお城を作り上げました。
現在は石垣と、山城の時の土塁を見ることができます。
朝晩と寒暖差の起きやすい春と秋に、津和野では雲海が見られます。特に秋がみやすいです。
雲海の中に浮かび上がる城跡は、地元の人たちの間でも”日本のマチュピチュ”と言われるほど幻想的です。
雲海ツアーもやっていますのでよければ☟のリンクをご確認ください。
本町通り
個人の店舗兼自宅でありながらも、たくさんの登録有形文化財がある本町通り。
まずもって、本町通りを見てほしい。みなさまお気づきでしょうか・・・?
そう、電線・電柱がないのです。
景観に配慮し、電線はできる限り裏から各家に引き込みを行っています。
町人で一番古いお屋敷「分銅屋 七右衞門」
津和野の町で一番古い建物である「分銅屋 七右衞門」。
分銅は重さを測る時に乗せるもの。みなさまも、小学校の理科の授業で使ったことがあると思います。
重さを測る時の基準になりますから、分銅を扱える人は信用がないと分銅屋として営業できなかったそうです。
分銅屋らしく、測りに重り(分銅)が乗った模様が家紋として描かれています。
現在は、和蝋燭や和紙の便箋など和小物を販売しているお店です。
俵種苗店 SHIKINOKA
明治にお野菜の種屋さんから始まった俵種苗店さん。
昔の趣のあるお店そのままに、日本の古来種の種やオーガニックスパイスの量り売りなどを行っています。
また、新たに立ち上げたプロダクトブランド”SHIKINOKA”では、地元の伝統工芸や作家さんなどどダッグを組んだ商品を開発・販売しています。
津和野の造り酒屋
津和野は、人口約6000人の小さな町でありながら、なんと造り酒屋が3軒もあります。
せっかくなので、1軒ずつご紹介していきます。
初陣 古橋酒造
本町通りに入って一番最初に出てくるのが代表銘柄「初陣」を作る「古橋酒造」さん。
2023年度ワイングラスで飲む日本酒金賞に選ばれました。
地元津和野では、何かに挑戦する時に「初陣」を飾るという縁起を担いで贈答されることが多いです。
キリッ!スッキリ!とした日本酒がお好みの方は古橋酒造さんの日本酒がおすすめ。
年末に出る生にごり酒が絶品 華泉酒造
津和野にある造り酒屋さんで一番の老舗のお店がこちらの「華泉酒造」さん。
甘口・フルーティの日本酒が好きな方は、華泉酒造さんの日本酒がおすすめ。
筆者の一押しは、年末に販売される生にごり酒です。
大吟醸の酒粕を贅沢に使用した甘酒もめちゃくちゃ美味しいので、普段お酒を飲まない方におすすめです。
店内にはギャラリーとして使われる蔵があり、毎年めだかの展示会が行われています。
コース外)さだまさしさんに歌われた 財間酒場 高砂
津和野の町中からは少し外れた場所に、残り1軒の造り酒屋である「財間酒場」さんがあります。
代表銘柄の「高砂」の他に、津和野の名産品を使った「栗焼酎」や「里芋焼酎」などを製造しています。
ガツっとしたクセのある日本酒が好きな方は、「財間酒場」さんの日本酒がおすすめ。
地元津和野では「高砂」という名前であることから、何かに挑戦し成功した方へ贈答されることが多いです。
150年以上販売が続く胃腸薬 一等丸 高津屋伊藤博石堂
江戸時代から続く薬問屋である「高津屋 伊藤博石堂」さん。
薬といえば、縁が深いのはお医者さん。ということで、、、津和野藩の藩医であった森鷗外の生家 森家との縁が深い老舗のひとつ。
現在は、なんと9代目の伊藤利兵衛が、お店を切り盛りされています。
販売している「胃腸薬 一等丸(いっとうがん)」は、先代の利兵衛さんが、日露戦争で出兵する鷗外先生に餞別でお渡しした漢方で、
その効果の高いことから、以降、生涯にわたって鷗外が好んで飲んだと言われています。
津和野の銘茶 ざら茶の香味園 上領茶舗
津和野の銘茶である「ざら茶」を販売している香味園 上領茶舗さん。
以前は、本町通りの裏路地にお店がありましたが、2023年5月に本町通りに移転しカフェ併設でリオープンしました。
ざら茶は、カワワケツメイという豆科の植物を乾燥させて炒ったお茶です。
ノンカフェインなので、妊婦さんも赤ちゃんも安心してお飲みいただけます。
秀峰青野山
津和野のシンボル青野山。
お椀をひっくり返したようなコロンと丸いフォルムの山で、その形の美しさから”秀峰”と名がつきます。
高さは約900メートルで、3時間ほどあれば登れるそうです(筆者は登ったことありません)。
山の成り立ちが非常に珍しく、山全体が日本の天然記念物に指定されています。
熊の生息域と重なるので、登山をする方は要注意。
津和野食糧 鯉の米屋
殿町通りの堀割りへ最初に鯉を話したお宅のうちの一つ。なので、今泳いでいる鯉たちは、ここの鯉の親戚に当たりますね。
ちなみにですが、犬飼いさんには嬉しい犬連れで入れる場所です!
元々、水車があり、その水車でお米の脱穀をしていましたが、文明の進歩で脱穀が機械になり、
不要になった水車の水路で鯉を飼い始めたことから、鯉の米屋と名前がついています。
SLが現役で走る 津和野駅
2022年8月で開業100周年を迎えた津和野駅。
島根県産の杉や松をふんだんに使った新しい駅舎です。
ロータリーの横には、なんとD51が! 筆者と所縁のある埼玉県の旧大宮製鉄所で作られたもの。
現在も新山口駅から津和野駅間で、土日祝限定でSLが運行しています。
(運行しているD51は2023年GWに故障し、現在修理中。修理期間中はディーゼル車両が代行しています。8/31に修理後のSL試運転予定)
安野光雅美術館
『ふしぎな絵本』で絵本作家としてデビューした安野光雅さんの美術館。
館内には、昔の学校を思い出すような木製のイスや机がセットされた教室、そしてプラネタリウムがあります。
プラネタリウムの上映は1日4回で、13時から一時間毎に上映開始となります。
一回の上映時間は35分程度なので、子供連れの方にもおすすめです。
永明寺(ようめいじ)
長らく、津和野藩主の菩提樹を担ってきた永明寺(ようめいじ)です。
藩主である吉見さん、坂崎さんのお墓はもちろんのこと、あの森鷗外のお墓がこちらにあります。
敷地内にある紅葉がとても綺麗で、秋の行楽シーズンにはたくさんの人が訪れます。
毎年11月中旬頃に見頃を迎えます。
コース外)時間に余裕があれば訪問してほしい観光スポット
森鷗外記念館
モデルコース内でも度々出てきた森鷗外の記念館と、彼が10才まで過ごした旧宅があります。
町の中心部からは少し離れていて距離があるので、訪問するならタクシーや車での移動がおすすめです。
鷲原八幡宮
神社やお寺がたくさんある津和野の中で、一番古い神社である「鷲原八幡宮」。
こちらも町はずれにあります。
鬼門を守る弥栄神社・太鼓谷稲成神社とは反対に、お城の裏鬼門を守っています。
毎年4月の第2週に流鏑馬が行われます。
裏山にそびえる大杉は樹齢1000年以上の御神木で、遠くからでも
(現在は修復作業中で、完了は2028年の予定)
堀庭園
秋の行楽シーズンで一番のおすすめといえば、これまた町外れにある「堀庭園」。
津和野駅から車で約20分ほどの距離にあります。
昔、この辺りでは銅が取れ、その銅山を管理していたのが、庭園の名前にもなっている堀家でした。
堀氏は、銅山で働く人のために病院なども作り、非常に栄えた地域だったそうです。
現在、その病院は古い医療機器などを展示した博物館として開館しており、
津和野産の野菜を使ったお食事のできる「糧」というカフェが併設されています。
津和野のモデルコース まとめ
・全部で12ヶ所をめぐるコース
・徒歩だけで楽しめる
・所要時間は約3時間
ということで、津和野のモデルコースをご紹介させていただきました。
この記事が、少しでも津和野の観光を楽しんでいただける一助となりましたら幸いです。
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